人間50も過ぎると、嫌でも死について考える。
私の大切な父、祖母、叔母や叔父など幾人もの人を見送った。
自分もいつか死ぬんだなーというのを実感として感じ始めたのはここ数年だ。
感違いされちゃ困るので言っておくが、私は極めて健康である。
それでも
三途の川は船で渡るのだろうか。
もしも川に落ちたら、2度も死ぬのだろうか。
方向音痴なのにちゃんと天国に行けるだろうか。
川の向こうに花畑はあるのだろうか。
などと、どうにもならないことを考える。
もちろん、人間は不死身ではないのだからいつか死というものが訪れる。
そんなことは子供でも知っている。
でも、まだ子供の頃は知識として知っているだけで、そんなことは遠い遠い先のことで、
どこか自分とは無関係だと思っている。
子供の頃の時間は長い。
永遠に続くと思われた時間は、年とともにスピードを上げて、風のように過ぎ去っていく。
鈍行列車から、急行電車に乗り換え、やがて特急電車で終着駅にたどり着くのだろう。
私は、時々電車に乗るが、窓側に座って景色を眺めるのが好きだ。
ふと妙な錯覚にとらわれる。
ホントは電車は止まっていて、景色の方が私の横を通りすぎているのではないだろうか。
人生も同じ。
私達が人生を歩んでいるように思っているが、実は、私達はずっと同じ場所にとどまり続けていて、楽しい出来事や悲しい出来事が勝手に通り過ぎている。
捕まえたと思った幸せを、がちがちになって握りしめても、砂が指の間からすり抜けるように
時間というじゅうたんに乗って、私たちのもとから去っていく。
良いことも、悪いことも・・・・・。
確かなものは何一つない。
いや、あった。
今という瞬間だ。
今という瞬間だけが、私達が操作できるマスターキーかもしれない。
人生を謳歌している人達がいる。
その一方で、突然降りかかった苦しい現実にあえいでいる人達もいる。
楽しすぎて、人のことなど思いやることを忘れる日もあるだろう。
悲しすぎて、なすすべもなく立ち尽くすだけの日もあるだろう。
それでも
遊び疲れた子供のように、私たちはいずれ同じ場所に帰っていく。
それが死というものなら、
私は、今この瞬間を大切にする。
今日は、怪しい女の怪しいブログになってしまった。
思いのままに書き綴ったものだ。
支離滅裂はお許しください。