心が変われば、態度が変わる
態度が変われば、行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば、人格が変わる
人格が変われば、運命が変わる
運命が変われば、人生が変わる
もう三年以上前のことだ。
この文章が、娘が通っていた中学校の教室に貼ってあった。
3年生になって、初の授業参観の日である。
A4のコピー用紙6枚を縦横につなげ、パソコンの文字で打ったものだ。
この文章はヒンズー教の教えである。
いろんな本や雑誌でよく引用されたりするのので、私も知っていた。
ここに書かれていることは、先生が子供達に伝えたいことだったのだろう。
私はまだよく知らないその担任に好感を持った。
その日は、高校受験を控える大事な時期ということもあり、どんな人が担任になるか
母親達は気になったのだろう。
いつもは、10人いればいいとこなのに、その日は20人以上の親が参加をした。
教壇に立つのは30歳前半ぐらいの体格の良い、強面の男性。
この人が、3年5組の担任だった。
名前がないと不便なので、この先生を利根川先生(仮名)としよう。
利根川先生は笑顔一つない、不愛想な先生だった。
通常通り授業参観は終わり、その後は先生と親達との座談会である。
利根川先生は、挨拶もそこそこに、これから始まる受験の事や
一年間の行事予定を淡々と説明した。
説明が終わったところで、
「何か質問はありませんか?」
2、3人の親が分からないところを質問し、利根川先生は、やはり淡々と答えた。
先生の話す内容は誤解を招かない、簡潔で分かりやすいものだったものの・・・・・・・・。
それもまた、アダになった。
一切の無駄を省いた話し方は、親達に冷たい印象を残してしまったようだ。
座談会は一時間の予定が、15分で終了した。
先生は書類を片付け、さっさと教室から去っていった。
これが、FさんとKさんの反感を買った。
彼女たちは、この座談会のためにお茶やお菓子を準備し、
参加者一人一人の名札まで作っていた。
確かに、一言ぐらいこの二人にねぎらいの言葉でもかける必要はあったかもしれない。
利根川先生は、気が利かなかった。
もともと生徒の親に気に入られようとは思わない人なのだろう。
FさんとKさんは、その時PTA役員であり、3年5組の学級委員でもあった。
しかもこのFさんは、PTA役員の中でも代表格であり、何かと活動が派手で
先生たちの信頼も厚いと言う噂の人物であった。
通常は初めての座談会の場合、一通り先生の説明が終わると、
学級委員の挨拶から始まり、親たちはそれぞれ自己紹介などをする。
そしてその後は、お菓子を食べながら、先生を交えての情報交換をするのが恒例だった。
情報交換と言うと聞こえはいいが、はっきり言って、ただのおしゃべりである。
役には立たないが、これが楽しみで参加する人もいる。
それがなかったのも気に入らなかったのだろう。
しかも、事前に彼女たちが準備したお茶とお菓子が手つかずだった。
彼女たちの手間暇かけたものが、無駄になった。
まあ、腹も立つわね。
座談会の後は、FさんとKさんが他の親たちを巻き込んで、
すでに教室から去っていた利根川先生の悪口大会を始めた。
私も逃げ遅れた。
ええい!長い物には巻かれろだ。
「なんなのあの態度、偉そうにー」
(別に偉そうにはしていない)👈心の声
「まだ時間あるんだから、色々受験の事とか心構えとか話してくれりゃいいと思わない?」
(質問すればよかったんじゃないの?)
「あの人、やる気あるの?」
(あるんじゃないの)
「子供たちの事なんて考えてないんじゃないの」
(根拠がないわよ)
「何か信用できないよね」
(悪口言ってるおまえの方が信用できないよ)
ほとんどの悪口は、FさんとKさんが言っていたが
周りの親たちも気を使ってか、二人の言葉を盛り上げた。
アホくさー
本心とは裏腹に、
私はFさんと視線が合うと、もっともらしくあいづちを打ち、笑顔さえ作った。
何やってんだろ…‥
とは思ったが、こんな性格なのよ、情けない・・・・・
その日はどっと疲れた。
しばらくすると、娘の情報から利根川先生が、生徒達から好かれていることを知った。
利根川先生は、悪ガキの生徒達からも人気があった。
先生は、悪ガキ達から「利根川!」と呼び捨てにされていたらしいが、
それも愛嬌である。
「コラ、先生と呼べ。仮にもお前達より15年も早く生まれた先輩をちゃんと敬え!」
「利根川がアディダスを着ても似合わんやろうが」
「バカ言え、俺が着るからアディダスがより映えるんぞ。お前が着てみろ、猿回しと間違えられるからな」(先生はアディダスを好んで着た)
娘は、よく利根川先生の話をした。
その中にこんなのがある。
体育館で保護者説明会がある度に子供達は、教室から自分が使っている椅子を体育館まで運ばされていた。
説明会の時、自分の親が座るためである。
もともと、体育館の倉庫には、折り畳みの椅子があり、保護者の数ぐらいその椅子で充分に用意できる。
子供達には不満だった。
「なんで俺たちが、わざわざ3階の教室から昼休みつぶして、椅子なんか
運ばないかんのや?倉庫に椅子があるのを使えばいいやろ」
そんな子供達の不満に、利根川先生はこう答えた。
「お前たちの気持ちは、よー分かる。俺だって何でそんな無駄なことさせるんか、ようわからん。でもな、俺も思うがココの先生たちは石頭が多いんよ。俺がたった一人反対したところで、どうにもならんやろ?お前達がどうしても(椅子を運ぶのが)イヤって言うんやったら、ダメもとで、他の先生方に言ってみようか?」
と、こう来た。
「もういいよ、利根川も石頭の先生の中でつらいっちゃね」
クラスを仕切っている悪ガキが言った。
「おまえ達、分かってくれるか」
二人のやり取りに(実際はもっと話が長かった)みんな爆笑したと言う。
変わった先生であるが、意外な形で子供たちの不満は落ち着いた。
先生の言った言葉は、本心だったのか。
それとも、子供達をなだめる策だったのか。
多分、どっちもYESだ。
今どきの学校は、先生と生徒の心の距離は遠い。
遠ければ、言葉は届かない。
でも、3年5組の先生と生徒の距離は、ずい分と縮まっていたのだろう。
教室貼られていた、ヒンズー教の教え。
心が変われば態度が変わる・・・・・
これは、もともと自分の心が変われば自分の物事に対する態度が変わると言うことだと思うが、もしかしたら利根川先生は、この教えを応用したのだろうか。
子供達にに対する思いが変われば、子供達の態度が変わる。
態度が変われば、結果が変わる。
ちょっと無理な発想かしら?
いずれにしても、親たちの予想は幸運なことに大きく外れた。
人は見かけによらぬもの。
肝に銘じたい。