つつのんの気まぐれ日記

アラカン女子の複雑怪奇な頭の中を書いていきます。

孤独死ってかわいそう?頑固じじいに見た覚悟とプライド

まっつぁんが亡くなった。

ご近所に住む頑固じじいである。

 

曲がったことが大嫌いで、うちのマンションの住人は苦手な人も多かった。

 

今どきの若いもんは、なっとらん!

が口癖だった。

 

私は、このまっつぁんが嫌いではなかった。

 

娘がまだ小学校に上がる前のことだ。

娘と、近所のF君はよく、この家にピンポンダッシュをしに行っていた。

その頃まっつぁんの家には白いふさふさの毛をした犬がいた。

この犬を撫でに行った帰りにいつもピンポンダッシュをして逃げ帰ってくるのだ。

 

ある日、運悪くまっつぁんに見つかった。

 

ぜーぜー言いながら、うちに逃げて帰ってきた娘とF君は、泣きべそをかいていた。

 

「おじいちゃんに怒られる・・・・」

 

「何した?」と私が聞くと

 

「ピンポン押した・・・」

 

またかよ・・・・

 

すぐに我が家にもその音が鳴った。

 

ドアを開けてみると、まっつぁんが立っていた。

 

恐るべし、追いかけてきたのだ。

 

私は、怒られるかと思い身構えた。

 

「ほれ」

 

そう言ってまっつぁんは靴を私に差し出した。

 

娘が慌てて逃げる時に、片方脱げ落ちていたのだ。

 

「こら、おまえら、あんまり慌てて逃げると、あぶね~ぞ、ホラそこ、車ビュンビュン通ってるからな、事故にあったらどんすんだ、母ちゃん泣くぞ」

まあ、ずい分以前のことだから、一字一句これと同じセリフだったかどうかは自信がないが、これと同じ意味のことを言ったことははっきりと覚えている。

 

まっつぁんは、私の後ろでもじもじしている娘とF君にそう言い聞かせて、帰っていった。

 

私達3人はあっけにとられた。

気が抜けた。

よかった・・・・。

 

でも、何でうちの号室が分かったのだろう?

ふと気になった。

 

後でわかったことだが、うちのマンションの管理人のじー様とカラオケ友達だったのだ。

そして、うちのマンションで嫌っている人達は、まっつぁんの家の前で違法駐車をしていた人達だったことも知った。

 

そのまっつぁんが亡くなった。

しかも亡くなったのは、数日前らしい。

 

まっつぁんは、数年前に奥さんを亡くし、一人暮らしだった。

 

昨日、町内会費を集金に来た組長さんが発見したらしい。

 

仕事から帰ると、パトカーが止まっており、人だかりができていたので何事かと、私も見に行ったらそう言うことだった。

 

警察署員に、私と同じ年頃の女性が、事情を聴かれていた。

まっつぁんの娘さんなのだろう。

 

ハンカチで目頭を抑え、今にもへたり込んでしまいそうな彼女を彼女の子供と思われる若い女性が、必至でその背中を支えていた。

 

その娘さんがまっつぁんが一人暮らしになってから、一緒に住もうと何度も説得に当たったこと。

だが、まっつぁんは生まれ育った家を離れたがらなかったこと。

それならと、長男は家族と帰ってまっつぁんと一緒に暮らそうと申し出ていたこと。

いづれもまっつぁんは、頑として受け入れず一人暮らしを続けることを自ら選んだこと。

そして、「若いもんは若いもんの生活がある、わしは一人の方が気楽じゃけんのう」といつも周りの人に言っていたこと。

 

そんなことを、先に様子を見に来ていた同じマンションのKさんが教えてくれた。

 

よくも、まあ、ここまで聞き出したもんだとあきれながらも、私は涙そそる話に感心した。

 

「まっつぁんていい人だったんだね」

Kさんが言った。、

 

私は知ってたけどね。

 

「なんか、かわいそうやね」

Kさんはそうも言った。

 

かわいそう?

 

何か違う・・・・・まっつぁんが亡くなったことはとても残念なことだが、

 

かわいそう?

 

それは違うような気がした。

 

そんな私の思いと裏腹に、周りの人からは、かわいそうと言う声が漏れていた。

 

孤独死とは、誰にも看取られることなく、突発的な疾病などによってひっそりと死に絶えることを言う。

 

まっつぁんは、形の上ではまさにこれに該当した。

 

孤独死はかわいそう・・・・

そう言うことなのだろう。

 

「眠ってるような、穏やかな顔だったよ。」

 

見たのかよ・・・。

 

 

 

ふと、3年前、亡くなった父方の伯母のことを思い出した。

 

伯母は性格のきつい人だった。

そのせいで、周りの人との関係がうまくいかず、それは親子関係にまで及んでいた。

 

伯母の夫はずい分以前になくなっており、3人の子供達も孫も実家に寄り付かなくなっていた。

 

それでも、さすがに子供たちは、伯母が死期を予告されたころから頻繁に入院先の病院に顔を出すようになっていた。

 

そのおかげで、伯母は子供達と孫たちに看取られて逝くことができた。

 

この一コマの部分だけを切り取って見たら、誰の目にも幸せな最期だったように見えるだろう。

 

だが、この話には続きがある。

 

伯母がいよいよ状態が悪くなり、意識がもうろうとしている時、別の部屋で三人の子供達は遺産分けの話を進めていた。

 

このことは、親戚中の誰もが知っていた。

 

だが、その子供達を非難する者は誰もいなかった。

もちろん、伯母に同情する人も・・・・・・。

 

そんな伯母が皆に看取られながら逝った。

 

一方、まっつぁんはたった一人で旅立った。

 

それでも、多くの涙を受け取ったのはまっつぁんの方だ。

 

人の思いと言うことを考えると、

 

本当の孤独死はみんなに惜しまれずに逝った伯母だったのではないだろうか・・・・

 

 

まっつぁんは、昭和一桁生まれだそうだ。

 

この世代の人は、私の父もそうだが、人に頼るのが苦手な人が多いように思う。

 

人に何かをしてもらうことに慣れていないのだ。

 

まっつぁんは、子供の世話などならず最期まで一人で‥‥

 

生前の言葉からも、そう決めていたことがうかがえる。

 

自分の人生に自分でケリをつける!

 

不器用な生き方しかできない頑固じじいの、自分なりの覚悟とプライド。

 

それを垣間見た気がする。

 

まっつぁん、どうぞ安らかに!