つつのんの気まぐれ日記

アラカン女子の複雑怪奇な頭の中を書いていきます。

没イチとおひとり様、最後に私たちが寄り添うものは?

「没イチ」と言う新語が出てきましたね。

 

え?前からあった?

 

この言葉、最近よく聞きませんか?

 

配偶者に先立たれ一人取り残されたの夫(妻)のことで、バツイチにちなんで、そう呼ぶそうです。

 

この没イチ、夫婦にとっては避けられない宿命のようなものですね。

 

確率はハーフハーフ。どちらかが先に行き、どちらかが取り残される。

 

「私の方が強いから、あなたお先にどうぞ」てなわけにもいかないし、まさかじゃんけんで決めるわけにもいきませんからね。

 

最近では新しい生き方を模索する動きが広がっています。連れ合いを亡くした人達が、悲しみをちゃんと消化し、終末期を前向きに楽しく送ろうと言う考え方です。、

 

没イチのサークルなどもあり、お互いの心境を分かち合うことで、立ち直るきっかけにつながったり、また、シニア向けの婚活サイト、おひとり様限定バスツアーなど、没イチを意識した様々な企画も出ているようです。

 

没イチなどの言葉が出てきた背景には、医療の発達による長寿社会の到来、そして、核家族の生活様式などがあるのでしょうね。

 

周りを見渡せば、一人の暮らしをしている人は、結構いますよね。私の叔父叔母はそれなりの年齢だから全員没イチですよ。知り合いには独身を守り続けてずっと一人の者もいるし、子供が結婚して一人立ちしたのを機に離婚して一人暮らしを選んだ人もいます。

 

没イチだろうが、離別だろうが、最初から一人だろうが、みんな最後は「おひとり様」を生きていくんですね。

 

 

私のママ友時代に、Kさんという女性がいました。

 

彼女とは、子供同士が仲良しだったので、よく子供同伴で遊びに行ったり、ママ同士でランチに行ったりしてたんですね。

 

でも、このKさん、時々約束を反故にしたんです。交流のあった2年間で3回。

 

その理由が、「ご主人が急に休みになったから」とか、「ご主人がゴルフ道具を買いに行くからついて行こうと思って・・・・」とか「ご主人が風邪で寝込んでるから・・・」とか。

 

それって理由になると思います?

 

ウソでもいいから、もっとマシな理由にして欲しかった‥‥

 

それだけじゃないんですよ。

 

一番頭に来たのは、プールに子供たちを連れていく約束をしていた時のこと。「子供だけ連れってってくれる?」と言われた時です。ご主人が風邪気味だった日です!

 

お宅の旦那は小学生?

 

ちゃんと行きましたよ。うちの子一人と、同級生の子とその妹まで連れて。

 

そしてその姉妹にお父さんの様子を聞くと、

 

「ビデオ見ながら、寝てる」だって。

 

別に、どうせ行くつもりだったからいいですけど、でも一言、彼女に言いたかったなー

 

おまえが言い出した約束だろうが!

 

Kさんとの仲は、子供が別々の高校に行ったことで終わりましたけどね。

 

彼女のように、ご主人がが全てかのような暮らしをしている奥様っていますよね?

 

ご主人のためなら、友達との約束なんて平気で破る・・・・

 

彼女と付き合っていた頃、よく思いましたよ。

 

この人、ご主人がいなくなったらどうするんだろうって。

 

今思うと、彼女はいったい誰の人生を生きてたんでしょうね。

 

 

もともと、おひとり様の定義とは、個の確立ができた大人の女性のことでした。

 

提唱されたのは、ジャーナリストの故・岩下久美子さんと言う方です。

 

精神的に自立した女性がで自由に生き方を決め、旅行や趣味など一人の時間を楽しみ、しなやかに人生を謳歌すると言うような意味だったんですね。

 

でもそれも、意味合いがちょっと変わってきましたよね。

 

おひとり様と言うとある年齢を超えた非婚の女性のイメージが強くないですか?

 

でも、今では老若男女、単身生活者全般を含め広義の意味に使われています。

 

なのに、なんで今「没イチ」にスッポットを当てるんでしょうかね?

 

わたしはやっぱり、「没イチ」より、「おひとり様」という言い方の方が好きです。

 

現代は個の時代です。1人で生まれてきたのだから、やはり最後も1人。

 

岩下さんの言われた「おひとり様」は時間の経過とともに、女性だけにとどまらなくなりましたが、精神的に自立し一人の時間を楽しみ、しなやかに人生を謳歌すると言うのは多くの人の

理想ですよね。

 

まして、終末期なら尚さらです。物語って、終わりよければ、全てよしですものね。

 

私達が最後の最後に寄り添うものは、他の誰かではなく自分自身なのかもしれませんね。