世の中には親のための人生を生きる子供がいる。
いや、親のための人生を生きさせられる子供がいるという方が正確だろうか。
もちろん、子供の方にも自由意志があるから「NO!」と言えば済むことだが、親に寄りかかっている子供時代は、どうしても主従関係から逃れられない。
3つ子の魂100まで。
しつけという名目で、3歳までに翼をもぎ取られた子供は、大人になっても従順だ。
私のいとこのせっちゃんもそんな一人かもしれない。
去年、お盆参りに数年ぶりにせっちゃんの家に行った。実家の兄が行けなかったのでその代役だ。
いとこのせっちゃんの家は広い。10部屋もあるだろうか、小さい頃、この家で、いとこ達が集まって、よくかくれんぼをした。鬼になると大変で、なかなか最後の一人が見つけられなかった。いつも最後まで見つからないのが、この家の長女のせっちゃんだ。でもせっちゃんは優しかったから、最後の一人になると、わざと声を出したり、足を見せたりしてわざと自分から見つかってくれた。
この家には、子供の頃の楽しい思い出がたくさん詰まっていた。
でも、時が過ぎ、
おじいちゃんもおばあちゃんも叔父さんも亡くなって、二人の妹も結婚して家を出た。久しぶりに訪れたこの家は、せっちゃんと年老いたお母さん(叔母)の二人暮らしになって、昔のにぎやかさはなく、すっかり静まり返っていた。13日の午前中だったから、まだ二人の妹たちも来ていなかった。
せっちゃんは、数年前から買い物依存症だ。兄から聞いていた話だが、実際に行ってみると、その証拠をまざまざと見せつけられた。私が、通されたのは玄関から応接間、そして仏間。その移動区間だけでもたくさんのモノがあった。
使っているとも思えない健康器具、山積みされた本、値札が付いたままの洋服やバック、何が入ってるか分からない箱や紙袋の数々。それは階段にまで及んでいた。洗濯ばさみは500個ぐらいあったと思う。広い家なので、モノのおき場所はたくさんある。閉じられた部屋はどうなっているのだろう。まさか、昔のように勝手に開けてみるわけにもいかない。
せっちゃんは、私が行ったとき、ちょうど近くのスーパーに買い物に行ってていなかった。
私は、仏間でお参りを済ませキッチンでお茶の準備をしている叔母のところに行った。
飛び込んできた光景に唖然となった。
せっちゃんの家は、キッチンとご飯を食べる部屋が、つながっていてその間にガラス戸がある。その上の鴨居の上の部分?にいくつもの釘が打たれておりスーパーの袋がいくつも横一面にのれんでもしているかのようにぶら下がっている。(分かる?この表現?)
「つつちゃん(私)そこの袋にラップが入ってないか見てくれん?セツがこの前買ってきたはずじゃけん、どっかに入っとると思うっちゃっ」
叔母さんはそう言って、鴨居の上にぶらさがっているスーパーの袋を指さした。
袋がありすぎて、どれを見ていいか分からなかったが、取り合えず端っこから見ていった。スーパーの袋の中は、雑誌も入っていれば調味料も入っていたり、レトルトのカレーやふりかけ、乾燥わかめ、つまようじ、いろんなのが入っていた。その中には、2年も前に賞味期限が切れているものもあった。4つ目の袋を見た時ラップが見つかったのでそれ以上は見なかったが、多分せっちゃんは、買い物に行って、そのまま生もの以外はこうやって袋に入れたままぶら下げていたようだった。もう何年も前から。全て、買った時のままの状態で中身は未開封だった。
居間で、叔母さんと世間話をした。
「つつちゃん、あんまり散らかとって、びっくりしたんじゃなかと?」
「アハッ・・・・」笑って濁した。
「何度言っても、使いもせんモノ買ってきてなー、困っとるとよ」
「・・・・・・」
「小さい頃から、なーんも心配なぞすることなかったんやけど、こんなことになるとは思わんかったわ」
こんなこと・・・・・
いらないものを買い込むことを言っているのか、結婚せず叔母と二人だけの寂しい生活になってしまったことを言っているのか・・・・
自分を責めてるようにも、せっちゃんを責めてるようにも聞こえた。
「セツは出来が良かったもんじゃけん、お父さんも後継ぎはセツにって決めっとったから厳しく育てすぎたんかね。反抗もせん子だったけね。あの子もやりたいことあったんじゃろうけど、長女やったし、妹たちのようには自由にはさせれんかったとよ」
知ってる。
せっちゃんが、ホントは4年大学に行きたかったのに、叔父さんの希望する短大に行ったこと、そして、得意な英語を生かして、通訳になりたかった夢をあきらめて地元で就職をしたこと。
それだけじゃない。
短大卒業して、スキーで知り合った2つ上の男性と3年付き合って、プロポーズされたけど、結婚をあきらめたこと。高卒で、小さな陶器屋の長男だった彼との結婚は叔父さんが怒り狂って反対したから。
もしかしたら、叔母さんが知らないことも私は知っていたかも。
だって私とせっちゃんは仲良しだったから。20代前半まで。
その内、せっちゃんが帰ってきた。両手にスーパーの袋を抱えて。たくさんのお菓子やアイスを買ってきた。お菓子は6袋?アイスはファミリーサイズで4箱。
誰がそんなに食べるの?
「叔母さんがお茶菓子用意してくれてるから、そんなにいらないよ、食べれないし・・・」
私は、買ってきた菓子袋を開けようとするせっちゃんを止めた。
「えー、つつちゃん来るっていうからさー、せっかく買ってきたのに―」
「じゃあ、アイスだけ食べる」
せっちゃんが歓迎してくれるのはうれしかったけど、ちょっと複雑だった。
子供の頃、この家で遊んだ後、お菓子をみんなで思い切り食べるのが楽しみだった。せっちゃん家はお金持ちだったから、自分の家では食べれないちょっとハイカラなお菓子がいつもあった。それもたくさん。そして、帰る時にはいつも叔母さんがいっぱいお菓子を持たせてくれた。
でも、さすがにこのトシになるとお菓子をうれしいとは思わない。
私にとっては、キレイで優しくて何でも教えてくれた2つ上の素敵なお姉さん。
せっちゃんはどこかで年齢が止まってしまったのだろうか。なんか、せっちゃん子供みたい。
せっちゃんは、30年勤めた郵便局を数年前に辞め、今はアルバイトを週4日している。アパートと駐車場を所有しており、毎月一定の現金収入があるので生活には困らない。しかも昔は人を雇って、手広く農業をやっていたので田畑がかなりある。今では、手入れするものもおらず荒れ放題だというが、その財産は相当なものだろう。
お昼に、せっちゃんはそばを作ってくれた。
丁寧にダシまで取って。
この暑いのに、熱いそばか?ソコは言わない。
その後ろ姿を見て、結婚してたら、いい奥さんになってただろうなと思った。
せっちゃんは、一度も結婚していない。
せっちゃんが叔父さんに結婚反対されて、生れてはじめて叔父さんと喧嘩した日。
うちに泊まりに来たあの夜だよ。
私、あの時言ったよね。
「陶器屋のお兄さんと駆け落ちしちゃいなよ」って。
せっちゃんは本気にしなかったけど、私の方は結構本気でけしかけたつもりだったんだよね。
でも、せっちゃんは一晩だけ泊まって、翌日家に帰った。あれからも一悶着あったみたいだけど、結局二人は別々の道を選んだんだよね。
この家に後継ぎはいない。
叔父さんと叔母さんが守りたかったのはいったい何だったんだろうね。
せっちゃんが、失ったものでいったい何を得たんだろうね、この家族。
叔父さんはさっさと自分だけ天国に行っちゃってさ。
「せっちゃん、なんでいらないもの買うん?値札付いたまんまじゃん」
直球で聞いた。昔のよしみでそれぐらい聞いてもいい気がした。
せっちゃんは、ちょっとびっくりしていたけど、
「わからないよ・・・」
「ふーん、そうか」と私。
「駄目だよね?」と私に聞くせっちゃん。
「いいんじゃね?」と私。
私はどこまでも無責任な奴だ。ここで普通、肯定するか?
でも本当にそう思ったんだよね。「いいんじゃね」って。
「優等生のせっちゃんでなくてもいいんじゃね」って。
そして何より、せっちゃんは人に「ああしろ、こうしろ」って言われるのはきっと嫌だよね。
せっちゃんが、モノを買ったところで、この家が困窮することなどありえないし。
親子の形にはいろいろある。
叔父さんも叔母さんも、いろんなことをせっちゃんに背負わせてしまったけど、当時はそれが親として最善だったと思ったんだよね。
親のための人生・・・・・か・・・・
いったい誰が幸せになったというのだろうか。
やっぱり人は自分の人生を生きるのが正解のようだ。
そして、自分で選んだことに責任を持つ!
私は、また来年来るから!と言って、せっちゃん家を後にした。
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