今日は、お弁当を忘れてしまった。外に出たらあんまり寒かったんで上着を取りに帰ったら、ついでにお弁当を玄関先に置いてきた
さて、今日は何を食べるかな~‥‥
そう思い、昼休みにショッピングセンター内のフードコートに行くと、Aさんが先に来ていた。トレーには、たこ焼きが乗っていた。鉄板皿のたこ焼きは熱さでかつお節が踊っている。
美味しそうだ私も今日のお昼はにたこ焼きにしよう。ネギ入りがいいな。
ふと、私は思い出して言った。
「Aさん、ダイエット中でお昼抜きじゃなかったけ?しかも12個入りじゃん」
私はため息をついて、冷やかな視線を送った。
彼女はニコッと笑い私の冷やかな視線を無視し、ある方向を指さす。
彼女と私は時々一緒にご飯を食べる。彼女が指さしたのは、いつも私たちがご飯を食べる暗黙の指定席だ。その席で待ってるねという合図である。
Aさんは、同じショッピングセンターの靴下屋さんで働いている、ちょっと面白い女性である。ズケズケとものを言うため彼女を敬遠する人もいるが、私は、彼女のあっけらかんとした性格が気に入っている。
私も、そそくさとたこ焼きを買って彼女のいるテーブルまで行くと、1人、増えていた。このパターンよくある。
保険相談窓口で受付をしているTさんだ。Tさんは家から持参の弁当を広げていた。
フードコートで、堂々と弁当を食べる人、たまにいる。彼女は常連だ。
平日のフードコートは、空席がいくらでもあるので誰も文句は言わない。
Tさんは、15年前に帰化した日本語を流暢に話す中国人である。彼女のパート収入で一人息子と二人暮らしだ。Tさんの息子さんは今、大学受験に備えて猛勉強中である。
私とAさんは長年の同僚みたいなもんだが、Tさんと話すようになったのは一年ほど前から。
私達2人とTさんは、ショッピングセンターの消防訓練のとき第八班年長組で一緒になった。名付けて炎の白百合隊だ
意味わからん
Aさんが勝手に名付けただけだ。
その時のメンバーはみんな無視している。
Aさんがたこ焼きを頬張りながら言った。
「ほら、陸王のさーあの子、ほら、あれよ、あの子、何だっけ、あの息子役の方よ。もう、ビンゴだわ~タイプなんだよね~だけどもう一人のイケメンランナーも捨てがたいわ」
山崎賢人と竹内涼真のことだ。
だいたい言いたいことは分かる。
年とともに、顔は浮かぶが名前が浮かんでこない。こんなことはよくある。よく「あれ」「それ」などの代名詞で会話することが多くなる。
「アタシがあと20年若けりゃねー」
若かったところで何が変わるんだろう?
「ねえTさん、どっちがタイプ?」
「私、テレビ見ないから分からないです」
Tさんのお弁当は、ピーマンとか、ニンジンとか、大豆とか、ささ身?など健康に良さそうなものばかりが入っていた。
その食事にその体形は理解しがたい。
「えー、テレビ見ないってウッソでしょう?」
「息子が受験なんで見ないです」
Tさんはくだけた話し方をしない。誰に対しても、丁寧な話し方をする。
誰かさんとは大違いだわ
「別にTさんが受験するわけじゃないじゃん」
Aさんは、理解できない様子で首をかしげている。
「息子さん、大学はどこ行くの?」
別に興味があったわけではないが、つい、話の流れで私は聞いてみた。。
「東京の大学です」
「東京?!」
私とAさんは同時に聞き返した。
それもそのはず、女の細腕で子供を東京の大学に行かせようなんて、考える母親は少ないのでは?
増してや、Tさんはパートだ。社会保険がないので、国民年金と健康保険料は自分で払わなくてはいけない。主婦のように優遇されているわけではない。
「なんで、東京?」私は問うた。
「何度も息子と話しあったんですけど、どうしても東京の大学に行きたいって言うんです。最初はおカネのこともあって反対したんですけど、ホントは私も東京の大学に行って欲しいです」
確かに頭がいいとは聞いていた。大学行くために有名な塾に通っているとも聞いていた。そして、その塾のこれまでの費用が170万かかったことは今日初めて知った。
余計なお世話だが、そのお金どうやって工面したのだろう。ちょっと、気になった。
こんなこと、まさか聞けやしない。
と思っていると、Aさんが素っ頓狂な声をあげて、
「塾に170万!もしかして、Tさんってお金持ちだったの?」
「まさか、おカネなんてないですよ。足りない分は、知り合いから借りました」
普通、塾代借りる?
貸す人がいるのも不思議だけど。
何なんだろう、子供への教育費を惜しまないこの姿勢は
塾代借りてるぐらいの経済状況で、その東京行きは実現可能なのだろうか。
そう思っていると、Aさんが聞いた。
「そこまでして行きたいってことは東大?」
「違います!」と、Tさん。
「早稲田?慶応?青山?明治?上智?ハーバード?ユネスコ?平成?・・・・・・」
段々何言っているか分からない。
Tさんも、ゲラゲラ笑いだしてすでに相手にしていない。
結局、どこの大学かは分からない。
話が進んでいくと、意外なことが分かった。
いや、意外ではないな。
そうするしかないのだろう。
Tさんは、数か月前から、受験費用を稼ぐために、トリプルワークをしていた。休みは月に一日だけという。
ダブルワークは、たまに聞くが、さすがに私の周りにトリプルワークはいない。
あとの二つは、レストランの調理場と物流センターでの荷物の仕分けだ。
どっちも楽な仕事じゃないよな。
女の細腕で、東京の大学に行かせようってんだから大したもんだ。
過酷な状況なのだが、彼女の顔はおたふく顔で、ちょっとふくよかな体形をしているせいか、見た目に悲壮感がない。
もともとTさんは過酷なんて思ってないのかもしれない。息子のためなら苦労もいとわないのだろう。その証拠に彼女の表情は明るい。
彼女の計画はこうだ。
学費は奨学金で賄い、食費と身の回りの生活費は息子さん本人が大学に通いながらバイトする。寮費は、Tさんが負担する約束らしい。
なんか危ない計画だ。もちろんうまくいく場合もある。何事もなく、Tさんが順調に働き続けられればの話だが…‥。
だけど、東京となると受験するだけでかなりの費用がかかる。受験料、飛行機代、宿泊費・・・・想定しない費用だって発生するもんだ。
第一希望も第二希望も東京の大学らしいから二回分だ。それだけでもそうとうな費用となる。その費用を、仕事3つも掛け持ちして稼ごうなんて、私なら考えただけでも逃げたくなる。Aさんなら悲鳴を上げてあたりかまわず物を壊すかもしれない。
普通、子供を希望の大学に行かせるために、そこまでできる?
他に選択肢がいくらでもあるのに?
私には無理だ
できる、できないの問題ではなく、不安要素があれば、多くの人は無難な方を選択するのではないだろうか。
Aさんは話について行けず、残ったかつお節をなめている。彼女は子供がいない。
でも、なぜ東京?
だって地元にはいいい大学がいくつもある。その中にはかなりレベルの高い国立大もある。
しかも中国人の息子なら、中国語を使いこなせるだろう。地元の国立大でも、そんなに頭のいい息子なら、彼の将来は明るいように感じるが。
なぜTさんはそんな難しい選択をするの?
Tさんは、15年前、もっと難しい決断をしている。
彼女が、日本に来たのは留学のためだったと言う。生れたばかりの赤子を連れて学ぶために初めて日本の地を踏んだ。この時の話にご主人の話が一切出てこない。
すでに離婚していたのだと察するが‥‥
異国の地で、言葉も分からず赤子と二人で大変な思いをしたんだろうな。
しかも、彼女の今のメインの仕事は、保険相談窓口の受付だ。はるばる中国から留学までして就く仕事でもない。社会保険もないパートだもんね。向学心に燃えて、日本にやってきたというのに現実はそう甘くなかったようだ。
彼女の見果てぬ夢は、息子に受け継がれたのだろうか。Tさんにとって、東京の大学は特別の意味を持つようだ。
今や、中国は、韓国に劣らない程の学歴至上主義だ。大学をどこに行くかでほとんど一生が決まるという中国、そんな国の思想が彼女を突き動かしているように見えた。
すっかり、Tさんはお弁当を食べ終わり、私とAさんの皿も、空になっていた。
「息子のために頑張ります」と、立ち上がり「時間なんで先に行きます」
と言ってTさんはその場を後にした。
「コーヒーでも飲む?」と私は聞いた。
「うん」と答えるAさん。
それなのに、私達は二人とも席を立たなかった。
その時、私とAさんは、Tさんとの間に何か分からない距離を感じていたんだと思う。