つつのんの気まぐれ日記

アラカン女子の複雑怪奇な頭の中を書いていきます。

汚いトイレ掃除には人の心に変化をもたらすって一理あるかもしれない。

 

なぜか、人はトイレ掃除を避ける。

 

もちろんこれは、公衆トイレの場合だ。

 

どこの誰ぞが使用したか分からないトイレの掃除、できればやりたくない。そう思う人は意外と多い。

 

日曜日は、町内の公民館の掃除当番だった。

 

やることは、部屋の掃除機がけ大広間の1部屋と和室2部屋、拭き掃除、庭のごみ拾い、トイレ掃除。

 

この中で、どれが一番大変か?

 

もちろんトイレ掃除である。男性用トイレと女性用トイレ全部で便器が6つと手洗い場が3つある。しかもトイレ全体の床部分に当たるタイルをホースの水を流して、ブラシで磨き上げなくてはいけない。結構広いトイレだ。

 

どう考えても、2人作業だと思うのだが、なぜかトイレ掃除は誰もやりたがらないので、その日運気の悪い人間が一人でやることになる。

 

毎回よく当たるのだ、このトイレ掃除。別にトイレ掃除が嫌なわけではないが、結構重労働なのだ。

 

確か前回も私がやった。

 

先週、同じマンションのFさんに「トイレ掃除に当たらないように早めに行ったがいいよ」と言われた。

 

は?どういうこと?

 

この公民館掃除、2年に1回ほど回ってくる。

 

いつも不思議に思っていた。10分前に行っても皆いつも私より早く来ていた。

 

掃除メンバーは同じマンションの住人。その日の当番は全部で7人。

 

まだ5分前だというのに、すでに、掃除機がけ2人、庭掃除2人、拭き掃除1人がいた。

 

案の定、トイレ掃除しか残っていないチーン

 

だがその日は5分前来ただけあって、私で6人目。もう一人来るはずだ。今回は、いつもより、人数が多かったので私は7人目に期待した。

 

きっとトイレ掃除を手伝ってくれるおねがい

 

まだ来ていない7人目は、○○号室に最近越してきたばかりの住人。年の頃は、40歳ぐらい。中学生と小学生の子供がいると聞いている。

 

甘かった。

 

10分も遅れてきたその新入り女・・・・・・

 

首を長くして待てど、トイレには寄り付く気配がないプンプン

 

その時私は、ドアの近くで回転式の絡まって回らなくなったホースと格闘していた。床のタイルの部分をブラシでこすって水で流さなくてはいけない。ホースが使えないと困るえーん

 

「こっちは人数足りてるので・・・・・・・・トイレ掃除が1人なんで・・・・・」

 

と、誰かが来たばかりの新入りに言っているのが聞こえた。

 

ハッキリ、トイレ掃除に行けとは言わない。なぜか遠慮がちな言い方をする。

 

新入りよ、サッサと来いムキー

 

しばらく待っても来ない。

 

結局来ないガーン

 

ちょっと、トイレのドアの隙間からのぞいてみるとその女、なんと、雑巾を持っていたゲッソリ全部畳の部屋なので、拭く所は玄関の靴箱とカラオケ装置とテレビぐらいしかない。一人がすでにやっているので、拭くところなどないはずだ。

 

段々足元から血がのぼっていったが、せっかくの日曜日の朝から気分を害したくない。

 

ここは精神統一だ。

 

私は、緑の容器に入ったサンポールを振りかけ便器を一心不乱に磨いた。

 

黄ばんどるやないかい笑い泣き

 

状況からして、どうやらここ数日の間に大掛かりな会合があったようだ。汚物入れにもゴミがたまっていた。

 

一心不乱に便器を磨いていると、何か心が落ちついてきた。


ゲッ、スリッパにガムくっついている。多分子供会のクリスマス会があったのだろう。

 

文句言っても仕方がない。黙々と作業をこなす。

 

何とかやり終えた。

 

水を流し、ピカピカになったタイルと便器を見渡すと、やり始めた時のウツウツとした気分は完全に消えていた。

 

「トイレ掃除、終わりました?」

 

聞いてきたのは、その日の班長Sさん。

 

「うん、なんとか終わったよ」

 

トイレを出ると、なぜか、越してきた新入りの顔がもうすでにない。

 

何と、用事があると言って10分前に帰ったという。10分遅れて来て、10分早く帰る。

 

恐れ入った。

 

「何か気づいた点とかあります?」

 

と、掃除日誌を書きながら、Sさんが聞いた。

 

ああ、気づいたとも。うちのマンションの人間は、みんなトイレ掃除が嫌いなんだな。そして、今度越してきた女はとんでもない神経の図太い女だ。

 

そう思ったけど、なぜか私の気分は晴れていた。不思議だ。

 

「サンポールが入っていないので、買い足しといて」とだけ、言っておいた。

 

7年ほど前、トイレの神様という歌がはやったが、多分あの頃、トイレ掃除を熱心にやった人もいるだろう。まあ、今はとっくに止めているだろうけど。

 

ルンルントイレには、それはそれはキレイな女神さまがいるんやで。

 

だから毎日キレイにしたら女神様みたいに

 

べっぴんさんになれるんやでキラキラ

 

おーなつかしいー照れ・・・・ここのフレーズしか覚えてないや。

 

私も子供のころ母に言われた。

 

お便所掃除をすると、顔がきれいになる。

 

子供心にもこの言葉は効いた。

 

いや違う。うちの母はこう言ったのだった。

 

お便所掃除をしない子供は器量が悪くなる。

 

こうやって脅したのだガーン

 

今思うと、母はもしかしたらトイレ掃除が嫌いで、子供達にやらせたかったのではないか?

 

家のトイレ掃除は、いつしか、私と姉の当番制になっていた。

 

トイレ掃除には、世間では何かとウマい話が多い。

 

金運が付くとか、人間関係が良くなるとか、美人になるとか、健康になるとか、我がなくなって謙虚な人間になるとか

 

だが、この話、合理的な根拠もなければ確固とした証拠もない。

 

それなのに、トイレ掃除の効用を力説する方々がいる。

 

例を挙げると、ビートたけしさん、斎藤一人さん(実業家)、小林正観さん(著作家)、松下幸之助さん(経営者)、そして極めつけはなんと言ってもイエローハット創業者鍵山秀三郎さんであろう。

 

こんな大成功をおさめられた方々が、トイレ掃除という凡庸な日常的なことをとても大事だとおっしゃっているのだ。

 

きっと、そこには大きな意味があるに違いない。

 

鍵山氏は、昭和36年、イエローハットを創業された年にトイレ掃除を始められている。その最初の10年間は、手伝うものもおらず、たった一人でトイレ掃除をされている。その後、その一人活動は社員たちを動かし、会社全体から町全体へと広がり、周知されることとなった。

 

今では、NPO法人「日本を美しくする会」が立ち上がり、日本国内だけでなく、世界へとその掃除活動は広がっている。

 

鍵山氏は、実践の人である。84歳になられた今も、トイレ掃除を続けていらっしゃると聞く。

 

今のトイレは、大きく進化した。家の中で、最も汚い場所だったトイレは、今では世のお父さん方の安らぎの場とはなっていないだろうか。

 

どこの家に行っても、汚いトイレを見ることは少なくなった。

 

昭和のトイレに比べたら、掃除なんて簡単だもんね。

 

それでも、家のトイレと違って、よそのトイレ掃除をするのはいまだハードルが高いようだ。

 

でも、それってもしかしたらみすみすチャンスを逃しているのかもしれない。

 

もしあなたが、トイレ掃除当番に当たったら、こう考えたらどうだろう。

 

トイレの神様は、きっと私を見ている!

 

おカネを拾うとか、突然色白になるとか、持病が治るとか、そんなことは100%起こらない。

 

残念だけど‥‥これが現実だショボーン

 

数年前、知人からこんな話を聞いたことがある。彼女の姪っ子の話だが、その姪っ子、中学二生の時、登校拒否になった。

 

母親は、それはそれは心配し、先生に相談に行ったり、あちこち紹介された専門のカウセリングに行ったが、一向に改善する気配はなかったという。

 

母親は完全お手上げ状態で、学校に行かせるのをあきらめた。

 

そんなある日、もともと母親がやっていた老人施設?(らしきもの)でのボランティア活動にその子を連れて行ったという。渋々ではあったが、毎日ブラブラしてやることもなかったのだろう。母親とそのボランティア仲間数人と一緒に活動に参加した。

 

このボランティア活動で必ずやる仕事にトイレ掃除があった。その子は、トイレ掃除など家でやったこともないのに、素直にトイレ掃除をやったという。もちろん、それだけではない。老人施設での仕事は、主に汚れものの片付けが多かったという。食べこぼしの掃除、汚れた服などの後処理。人があまり好まない仕事だ。無償だし。

 

だが、その子はなぜか続いたという。

 

彼女自身変わろうとしていたんだろうね。

 

彼女は今、2月の大学受験を目指して勉強中である。もちろん高校に通いながら。


不思議なことだが、彼女の心の問題は大人たちが考える解決策とは全く別のところにあったようだ。

 

ここで、きっかけになったのがトイレ掃除である。

 

この4年ほどの間、彼女の心がどう変わっていったのかは分からない。

 

だが、私は思う。

 

トイレ掃除という目立たない仕事が、実は私達の心と、深くつながっているのではないか?

 

それが人に変化をもたらす。

 

知人の姪っ子は、今もボランティア活動を続けているという。

 

鍵山氏が言われる「凡事徹底」である。

 

大人も鬱になって仕事が続けられなくなる人がいるが、表面上はストレスと言うことになっている。上司や同僚との関係がうまくいかないとか、能力不足でいつも怒られるとか・・・・・

 

でも、私はその原因が「自分が嫌い」というのがその大元ではないかと思っている。

 

人の嫌がる仕事をやる!

 

昔ほどではないが、トイレ掃除は最もわかりやすい嫌な仕事だ。

 

それは、まさに、

 

「ちょっとだけ自分が好きになる」

 

きっかけになるのではないだろうか。

 

「私は私が好き、世界中の誰よりも私は私が好き」

 

こんなことを人前で言ったら、病院に行け!と言われるだろう。

 

だが、この感情は人の心にかなりの幸福感をもたらす。

 

私が、公民館のトイレ掃除をし終わった後、何となくすがすがしい気持ちになったのも、この感情と無関係ではないのかもしれない。

 

私は、昨日の自分より今日の自分が好き!

 

もしかしたら、心のどこかでそう感じていたのかもしれない。

 

トイレ掃除は、人の心に変化をもたらす!

 

これって、一理あるのかもしれない。

 

私は、少なからずそう思っている。