新年あけましておめでとうございます。
令和になって初めてのお正月だ。
お正月だからと言って我が家はいつもの休みと変わらない。おせちもなければお正月らしい家族の団欒(ご飯の時以外)もない。
夫と娘も家にいるが、それぞれ好き勝手なことをしている。部屋にこもってご飯の時だけ出てくる。
どうやらうちの家族は、自分の部屋が一番落ち着くらしい。
別に寂しくもない。
うちは家族全員一人の時間が好きなようだ。だが、一つ屋根の下、家族がいるからこそそう思えるんだろうね。
子供が小さいときはお正月休みのほとんどを、夫の実家と私の実家と半々で過ごすことが多かった。
だが、子供も大きくなり、両親も亡くなり実家に帰る理由もなくなった。お正月の過ごし方って年とともに変わるんだね。
私の学生時代の友人のWさん(50代後半)は独身でお母さんと二人暮らしであったが、昨々年そのお母さんが亡くなり、昨年からは一人の正月を過ごしている。
それまでは遠方に住む妹さん家族が毎年帰ってきていたので、年末は家じゅうの大掃除をし、布団を干して、おせちを作ったり、帰りに持たせるお土産などを買ったりと大忙しだったらしい。
しかし、それもお母さんが亡くなって、ぴたりと帰ってこなくなった。
「実をいうとさ、毎年帰ってくる妹家族に内心うんざりしてたんだよね。せっかくの仕事の休みなのに妹家族の接待で休日が終わるんだよ。たまには、ゆっくりお正月を過ごしたいじゃん、でも、こうもぴたりと帰ってこなくなると、何かたまらなく寂しいんだよね」と。
これまでは、初もうで、買い物、レストランでの食事、温泉での一泊、すき焼きやおせちを囲んでワイワイガヤガヤがWさんのお正月スタイルだった。
でも、今年はDVDを借りまくってワインを飲みピザを食べ奈良漬を食べスイーツを食べ・・・・あと何だったけ?とにかくおいしいものを飲んで食べて映画やドラマをを見まくるんだそうだ、家で一人で。
Wさんは、3日間一歩も家を出なくていいように食料を買い込んでる。
避難生活だ。
最初は、映画館に行ったり、三越の初売りも繰り出そうと思ったらしいが・・・・
「バッタリ家族連れの職場の人や知り合いに会ったりしたらイヤだしね」とWさん。
「確かに…「一人?」って憐れんで聞かれるだろうね」と私は追い打ちをかけた。
Wさんはゲラゲラ笑っていたが、何となく分かる!街中に行きたくないと思ったその気持ち。
人にどう思われるか?これってつまらないけど多くの人がかなり気にする部分であろう。
誰だって、多かれ少なかれ幸せな家族像に縛られている。それがお正月であり、クリスマスであり誕生日などだ。それにあぶれている人間はかわいそうな人なのだ。
誰だって、人から悲しい女だとは思われたくはない。
それに、彼女はこうも言っていた。
「なんかさー幸せそうな家族とか、カップル見ると余計寂しくなるんだよね」
哲学者の三木清はこんな言葉を残している。
孤独は山になく街にある。一人の人間にあるのではなく大勢の人間の「間」にあるのである。
お母さん亡くなって、妹さんも帰ってこなくなって、ある意味自由になったはずなのに、その自由が逆にお正月というイベントでは不自由になっている。
不思議な気がした。
私の近くのスーパーでは、年末、しきりに「お正月」の童謡が流れていた。
もういくつ寝るとお正月
お正月には凧揚げて、駒を回して遊びましょう。
早くこいこいお正月。
もういくつ寝るとお正月
お正月にはまりついておいばねついて遊びましょ
早くこいこいお正月
子供のころはお正月を心待ちにしたものだが、年とともにお正月に対する感じ方は変わる。
私も、今年はどこにもいかず韓ドラを元旦から見まくっているので、ほぼWさんと同じようなお正月だ。それでも感じていることは違うんだろうな。
昔の同僚に当時42歳独身がいたが、一人暮らしの彼女はトイレに入るとき必ずドアを開け放して用を足すと言っていた。その理由を聞いたら、
「もし万が一締め切ったトイレの中で死んだら誰も見つけてくれず死体が腐るじゃん」
「異臭が放って、逆に見つかりやすくなるんじゃないの?」と私は言ったが、
「だから~」と彼女は「だから」を強調してこう言った。「死体が腐る前に見つけてほしいでしょ?あまりに臭かったら、運ばれるとき嫌がられるでしょ?」
いや~死体の時点で歓迎はされないと思うが・・・・・それにしても・・・・
一人暮らしの独身女性って、こんなことまで考えるんだとつくづく感心した。
話がずれてしまったが・・・・
Wさんの今年の年賀状には、「今年は思いっきり一人上手を目指します」と書かれていた。彼女の決意が伝わってきた。